沸点を超えた日

2023年6月10日、日産スタジアム。

肌にまとわりつくような湿気が、春の終わりを告げていた。そういやニュースでは関東地方は梅雨入りしたと言っていたっけ。この日も雨が降るんだか降らないんだか煮え切らない態度の空模様。

なんでもない週末、なんでもない日常。

現地観戦未経験者には「非日常的な空間だから!」と熱く語る私だが、何度も通い続けたスタジアムはすっかり日常の一部で、その日足を運んだのも言ってしまえばルーティンのようなものだった。

けれど、いつもとちょっと違うこともある。後方でひとり観戦が常の私だが、この日の試合は前目の席で友人と観る約束をしていたのだ。観ている試合の感想をリアルタイムで話し合えるのは新鮮で楽しみだな。そんなことを思い浮かべながら、遅めのランチを片手に友人が待つ座席へ向かった。

ふと周りを見渡すと、周りの人たちと自分の違いがありありとわかった。

前のカップルは今か今かとキックオフを待っていた。どちらも背番号入りのユニフォームに袖を通し、試合前から立ち上がっている。
後ろの2人組はサッカー詳しそう。片方は常連さん、もう片方は一見さんかな?一生懸命贔屓チームを友人に勧めている。
左右を見渡せばトリコロールに身を包んだ少年たち。Switchとかは持たずにこの前の試合の話をしている。こちらも目の前の試合に臨戦態勢。

私はこの試合を年間数十試合のうちのひとつと考えていたけれど、この人たちにとっては、スタジアムで観る今日の試合はルーティンではない。もしかしたら現地でサッカーを観ること自体人生初の体験だったりするかもしれない。そう思うと変にこなれたフリをしている自分がいたたまれなく思えてくる。

キラキラした目でキックオフを待つ周りと、いつもと同じような心持ちでランチをほおばる私。同じチームを応援し、同じスタジアムの近い位置に座っているだけで、この時はまだ自分の異物感をどうしてもぬぐいきれなかった。

試合の前に、ホームチームとアウェイチームの両方に所属したOB選手に捧げるトリビュート映像が流れた。長きに渡る闘病の末、彼がこの世を去って2年になるという。命日に近いこの日に、彼が在籍したチーム同士のゲームがあるのは、どこか運命的でもあった。

当時はあまりサッカーを観ていなかったので、彼のプレーはぼんやりとしか覚えていない。けれど文字通り身を粉にしてチームを支える闘将という印象はあった。あまり彼を知らない私だが、弔意だけでも伝わって欲しいと空を見上げながら拍手した。

「諦めない魂は我々が受け継ごう」

ホーム側ゴール裏に掲げられた横断幕に嘘はないとばかりに、両軍サポーターの声がこだまし、着実にスタジアムの熱が上がっていくのを感じた。まるで今は天国にいる闘将の熱にあてられたかのような、いつもと違う雰囲気だった。

試合は始まってからすぐ目まぐるしく動いた。

先手をとったのはホームチーム。頼れる大黒柱の11番が10分弱で口火を切ると、「自分たちこそこの90分の主役である」と高らかに主張するがごとく攻撃を展開する。
一度は同点に追いつかれるものの、それでも瞬く間に勝ち越し弾を決めて、オーロラビジョンに映るスコアの上では優勢を保ち続けた。

それでも握ったかと思った主導権は、するりと指の隙間から滑り落ちた。
勝ち星から遠のいているアウェイチームがやり方を変えたのだが、これがものの見事にハマった。

リーグの順位差を思えば首位を狙える位置につけるホームチームが圧倒しそうなものだが、今思い返せば試合の大半はアウェイチームの思惑通りに進んでいた。
後半の最初のプレーで同点に追いついてみせると、水を得た魚のようにアウェイチームはのびのびプレーし、ホームチームを窒息に追い込んでみせた。トリコロールを応援する我々には、ピッチ内の要所を覆う黄色いユニフォームが苦々しく映った。

ゲンキンなもので、ホーム側のスタンドの熱も、試合展開に応じて乱高下する。
前半は興奮気味に試合を観ていた友人や隣の子供たちも、後ろで誇らしげに説明していた野生の解説者も、言葉少なになっていく。隣の小さなサポーターも、前のカップルも試合前の高揚感が嘘のよう。私の脳裏によぎる「逆転負け」の4文字も時間と共に色濃くなっていく。
こうなると人間寂しいもので、重苦しい空気を打破できそうな声も出せずに私は黙りこくるしかなかった。

もちろんホームチームの選手たちは一縷の望みにかけていたし、ベンチは手を打ち続けた。
だがその様は、今にも見えなくなるほど遠ざかっていく勝ち点をどうにか掴もうともがいているようにも見えた。ベンチ入りしている顔ぶれも大きくは変わっておらず、交代策に真新しさはない。しかも優勝した去年ですら後半に逆転されてから追いついたゲームは記憶にない。

いつも通りの交代策、いつも通りのやられ方。

なだらかな下り坂をとぼとぼ降りていくようなホームチームの失意、反比例して歓喜をタイムアップを今か今かと待つように盛り上がるアウェイチーム。何年もサポーターをやっていればわかる。この光景こそ「負け試合」の光景だと。

スタジアムにいるほとんどの人が結果を悟ったようなとき、ある諦めの悪い男が事件を引き起こす。
1点リードのアウェイチームのDFが退場してしまった。その原因となるスプリントをしたのは、他ならぬ背番号23だった。

こうなるとすっかり意気消沈していたホーム側のトリコロールが色を取り戻す。
残り時間は多く見積もっても10分あるかないか。必死にゴールを呼び込むホーム側のサポーターと、それに応えるかのように攻め立てる11人のトリコロール。それまでチャントを歌うどころか言葉も出ていなかった私だが、いてもたってもいられず大声で歌い出した。ひとつひとつのプレーの成否やここまでに至る経緯の拙さはこの際どうでもよかった。なんとかしてあの7.32m×2.44mの枠の中にボールが入って欲しい、その一心で調子ハズレの歌を歌い出した。

今思えば、すっかり冷静さなんて吹き飛んでいたんだと思う。背番号11のストライカーがその日2点目となるゴールを決めたあとも、気がつくと4本の指を立ててもう1点を求めて叫んでいた。

そして、手元の時計がアディショナルタイム終了間際を回ったときのこと。
すっかり両軍ゴール前をボールが行き交う展開になっていて、自陣で奪ったボールはすんなりと我々ホームサポーターが待つゴールの目の前までやってきた。一度は通らなかったパスを拾った背番号10はワンタッチでゴール前に折り返す。限界まで熱を帯びたスタンドと彼のキャラクターとは裏腹ともいえる怜悧な判断だった。

そのボールがペナルティエリア内に入ってからは、スローモーションに見えた。
背番号23が、慎重に慎重を重ねるようにして10番からの柔らかいパスを足元に収めると、流れるように右足を振り抜く。DF2人が必死に伸ばした足に当たって、ボールは相手GKの思いもしていないところへ転がり、ネットをそっと揺らした。

4-3。誰だって諦めそうな局面を最後の最後にひっくり返したのは、諦めそれ自体を踏破した23番のスピードスターだった。

ゴールが決まった時、それまで他人同然だった前後左右の人たちとハイタッチをした。
冷静に解説をしていた2人組も、子どもたちも、皆が同じように溢れ出る熱情で顔を歪ませていた。
(ちなみに隣の友人は点が入った瞬間に視界から消えたと思ったら、最前列で吠えていた)

ほどなくして高らかに試合終了を告げるホイッスルが鳴った。その日の世界中の誰よりも熱にあてられた、私たちの90分が幕を閉じた。

試合後のヒーローインタビューは、当然帰ってきた23番。彼は最後こんなことを口にした。

「諦めなければ何か変わるんだってものを、少しでも皆さんに感じ取ってもらえれば、ほんとに嬉しいです」

涙を両目にためこんだこの試合のMVPは、声を振るわせながらそう語った。
「いついかなる時も諦めない」という言葉を口にするのは簡単で、往々にして形骸化しがちなこのフレーズにはどこか軽さもつきまとう。けれど、度重なる負傷で一度は絶望の淵を彷徨いながらも立ち上がり、そしてこの日誰よりも諦めなかった彼が口にしたからこそ、腹の底にずしりと響いた。

時としてサッカーはこのように、喜怒哀楽の感情の引き出しをひとつずつ無造作に開けてくるかのような真似をする。試合前から熱を引き上げたかと思えば、急に冷え切らせて、最後沸騰するかのような温度まで引き上げる。

つくづくとんでもない娯楽に身を投じたものだ。そんな思いに頬を緩めつつ家路についた。
無機質な電車に揺られていくうちに、身体中を貫くような熱がゆっくりと冷めていくのを感じていた。すっかりぬるくなってしまった試合前に買ったペットボトルの麦茶を口に含む。これからはまた、いつも通りの日常だ。

けれど、あの日あの時の熱を帯びた記憶は、日常がいくつ折り重なってもきっと上書きできないだろう。こうして私はまた一歩、サッカーの深みに足をとられてしまった。

<この項・了>

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