2019シーズン。マリノスにやってきた李忠成は、新体制発表会のあいさつでサッカーを「感動の瞬発力」と評した。
その言葉が妙に私の中で腹落ちしたのは、“瞬発力を伴った感動“に直面するとサポーターはどうなるか、体感してきたからだと思う。
感動が瞬間的に押し寄せると、人は、とりわけおじさんは、周りとハグをする。
2015年4月4日、日立台。
当時マリノスにとってこのスタジアムは、鬼門中の鬼門だった。
アウェイゲームに行く「遠征」の楽しさを知り始めた初心者サポーターだった私にとっては、初めて日立台に行った日でもある。
ゴール裏はオールスタンディング形式。その端っこに私はおずおずと入っていった。
どこか空いているところはないかと辺りを見回していると、「ここ空いてますよ」と、メガネをかけた人の良さそうなおじさんが隣を空けてくれた。
特におじさんと会話を交わすこともなく、試合は始まった。熱戦だった。
失点を喫した瞬間、私はがっくりと肩を落としたが、おじさんの落胆はその比ではなかった。
選手への失望というより、目の前のスコアをひたすら悲観しているようで、「またか、また柏に勝てないのか」という諦めにも似た寂しい表情をしていた。
「取り返そう、取り返そう!」
ピッチにいる選手に向けた声かけのように私はそう叫んだが、内心は隣にいるおじさんに少しでも立ち直って欲しい気持ちが先走っていた。それくらい気の毒な表情だった。
声が通じた、などとおこがましいことは言わないが、マリノスはここから1点を奪い返し息を吹き返す。悲嘆に暮れていたおじさんの目にも光が戻り、2人で声が裏返っても御構い無しにチャントを歌い、手が赤くなってもなお拍手を続けた。
そして逆転の瞬間、僕たちは満面の笑みでハイタッチを交わした。
年齢の差、サポーター歴の差、様々なものを乗り越えて、同じ「マリノスサポーター」として同じ瞬発力で感動を分かち合った。
試合終了のホイッスルとともに、おじさんは両手を広げ、私を招き入れた。正直困惑したが、断るのも気が引けたので成り行きに任せた。
私のサポーター人生で初めて、誰かとハグを交わした瞬間だった。
「やっと、やっとだよ。やっと日立台で勝てた。俺が行く日はずっと負けてたんだ。」
あの時のおじさんの声の震えは、今でもはっきりと思い出せる。
大の大人の心情をここまで揺さぶるなんて、サッカーは本当にとんでもない劇薬のようなエンターテイメントだなとその時感じた。
それから月日は流れて、頼んでもいないのにやってきたウィルスによって、サッカー観戦を含むエンターテイメントは様変わりした。
私は私でサポーター人生を歩むうちに、生意気に「高いところから俯瞰で観たい」などという欲に駆られるようになり、ゴール裏の席には行かなくなった。あの日のような体験は今や望むべくも無い。
けれど私は時々無性にあの熱さを恋しく思う日がある。断じておじさんとハグをする趣味があるわけではない。
だが、時々ケンタッキーのフライドチキンが食べたくなる理由に説明が付かないように、なぜだかあの非合理的な場所で、なぜだかあの非論理的な熱にあてられたくなる。きっとあの日こそ、サッカーというスポーツが持つ、感動の瞬発力の最大風速を全身に受けた1日だったからだろう。
「そういえば、日立台はいつだって鬼門だったけど、あの頃は特別だったな。あのおじさん、元気してるかな?」
そんなことを思っていたら、指定席を取り損ねた。仕方ないな、と自分に言い聞かせるように独り言をつぶやいて、私はまたあの日と同じ、立ち見席を買った。あの日のような熱い試合を期待しながら。
<この項・了>