どうも、「子どもの頃わからなかった寿司屋のガリの存在意義が今ならわかる」系マリサポのお市です。いやービックリしました。
畠中槙之輔、松原健、日本代表返り咲き。国内組中心のメンバーとはいえJの実力者たちがズラリと並ぶメンバー表に名を連ねたことは、彼らのマリノスでのプレーが評価を得た証だと思います。
去年、一昨年と代表入りしていた畠中はまだしも、松原の選出は驚きをもって受け止められたかもしれません。
ある他サポは「そもそも松原って実力どうなのよ?」とお思いでしょうし、またある他サポは「なぜマリサポはユース生え抜きでもない松原健の代表入りをこんなに喜んでいるのだろう」とお思いでしょう。そこで今回は健さんこと松原健について思うままに書きまくろうと思います。プレー面だけでなくキャラクターにも触れていくつもりです。
それでは2021シーズン初投稿、はっじまーるよー(レビューもプレビューも書いてないのはないしょだ)
目次
基本情報
松原健(まつばら けん)
Embed from Getty Images180 cm/77 kg 28歳
利き足:右
ポジション:RSB、CB(3バックの右脇、たまに4バックのCBも)
愛称 :マツケン、ケニー(本人お気に入り)、健さん
【その他の小ネタ】
- マリノスのチームメイト岩田、同じく代表に招集された浦和の西川と同じ四日市南SSCでプレー。
- 人材の宝庫として知られる大分U-18出身。2学年上にFC東京の東、3学年上にC大阪の清武がいる。
- 今でこそSBとして名が知られているが、始めたのは高校1年の頃。
- フル代表の招集は2回目。1回目はアギーレジャパン。
- コーナーフラッグが外れるシーンに出くわしやすく、毎度それを直している。 #松原工務店
- 浦和の山中がマリノスにいた頃は自身と比較し、「ヤマがトロなら、オレはガリ。」と謙遜気味に評価。以降この2人のマッチアップはトロvsガリとしてマリノスサポの胸を熱くしている。
- 端正な顔立ちとスタイル、そして後述のアツいストーリーからかマリサポの人気はとてつもなく、彼を推すサポたちで構成される「健さん会」はついに本人の知るところとなる。 #健さん会
反面移籍金を残さず去った説もあり、柏の戸嶋を長期離脱に追いやってしまったタックルから新潟サポからの印象は決して良くない- 強肩。青森山田ばりのロングスローはしないが、10mくらいならあっさり飛ばす。
- 美声。鳥栖の島川ほどではないが、カラオケに自信がありそうな歌声はする。
- 2019年、願掛けに口髭を伸ばし始めたら無敗。2020年にジンクスが崩れたからか最近は生やしていない。
ここを見てくれ①:キックの精度と多種多様っぷり
2019年優勝をたぐり寄せた川崎戦でのスルーパスは、もはやマリサポの語り草となっている。
松原健(以下、健さん)がアギーレジャパンに名を連ねたときや、リオ五輪代表の座を狙った時、彼の代名詞といえば高精度のクロスとアップダウンする運動量だった。
だがマリノス2年目、アンジェ・ポステコグルー(以下、ボス)がSBが内側に入り、中盤の選手のように振る舞う偽SBの動きを要求するようになってから、健さんはクロスよりもグラウンダーの速いパスを多用するようになった。
「トップフォームの時なら、預ければ確実に点に繋げる」同年代の相棒、RWG仲川テルの存在も大きかっただろうが、マリサポの中には健さん=長いパスという認識の人も多くいるはずだ。こうした彼の意表を突くパスを可能にするのが、身体の向き、ボールの置き所、視線といった様々な要素をふんだんに使った「騙し」の技術だと思う。
健さんがパスする瞬間を撮った写真を見ると、身体を捻ったり開いたりしていることが多い。
これをしている時の健さんのパスの行く先は、パスを予測して守る側からするとかなり読みにくい。パスの出先を予測しようとする時、身体がどちらに向いているかは大きな情報である。右に出したければ右側に身体を向けるし、左に出したければ左側に向ける方が蹴りやすい。なので、そこからパスの行く先を予測するのだが、健さんはそこで開いたり捻ったり振り足の方向を工夫して相手を「騙し」てくる。同じ足の内側で蹴るインサイドキックでも直前で方向を変えられるのだ。より詳しい話は老舗のサッカーブログ、蹴球計画が詳しいのでこちらをご参照いただきたい。


野球で言えばギリギリまでストレートか変化球かわからない腕の振り、バレーで言えばギリギリまでインナーかストレートかわからない腕の振りのサッカー版とも言えるこの「騙し」のキック技術は、健さんの長いスルーパスを成功させる大きな要素となっている。
さらに健さんは視線も「騙し」に使う。ちょうどいいシーンをだぞんが切り取ってくれたので使ってみる。
0.17あたりで一度右側に首を振る健さん。それを見て金髪のDFは右側を抜けて裏を走るFW(サントス)へのパスを予測し急いでパスコースに入る。だが次の0.19で健さんは逆の左側へとパスを通す。もともとどちらに出すつもりだったかは知る由もないが、結果として首振りひとつで逆をとってチャンスメイクすることに成功している。
一昔前のMFたちの技量とされてきたパスの細かなテクニックを使い、相手の裏を突いていく健さん。代表でもその鋭い一閃が見られるか。
ここを見てくれ②:向上してきた対人守備
Embed from Getty Images(いわゆる無駄にしつこい解説なので苦手な人は以下略)
偽SBをこなす前から攻撃性能で知られた健さんは、将来を嘱望される存在だった。だが期待値に反して、なかなか同期の室屋らのように代表やら海外挑戦やらに縁がなく、評価はイマイチ上がらなかった。その理由はおそらく、新潟時代の右外側半月板損傷に代表される「負傷の多さ」であり「守備難」だったのではないかと思う。
マリノス加入当初も健さんのクォリティに疑問を持つサポーターは少なくなかった。ガタイの良さに反して当たり負けする健さん、スピード豊かな助っ人アタッカーにぶっちぎられる健さんを見て、「あいつはダメだ」とばかりにがっくりと肩を落とすサポを日産スタジアムで何度見たかわからない。(前任者が守備のスペシャリスト小林祐三だったことも災いしたかもしれないが)
それでも健さんは着実にウィークポイントを克服していった。これは地道な体幹トレーニングをこなす健さんの図。
体幹のパイオニアAJによるブートキャンプのおかげかは知らないが、2017年には52%だった地上での1対1勝率も、今期ここまでは80%と高い数値を叩き出している。圧巻だったのは盟友山ちゃんとのマッチアップとなった、第4節浦和戦。かつて主役である「トロ」と評したほどの攻撃性能を誇る山ちゃんに真っ向からぶつかり抑え込んだ健さん。およそ引き立て役の「ガリ」には似つかわしくないほど、メインキャストの輝きを放った。
たしかにまだ大小様々なポカをやらかす癖があるため、「守備職人」の称号を得るには至ってないが、それでも叩かれながらも徐々に伸びていった健さんの守備対応は、サプライズで選ばれた6年前のそれよりもはるかに改善されている。成長の跡を見せつけるように、再度まとったサムライブルーでも戦う健さんが見たいところだ。
マリサポはなぜ松原健を愛するのか
Embed from Getty Images(いわゆるNu○ber文学めいているので苦手な人は飛ばしてください)
遡ること2017年1月。マリノスは大いに揺れていた。レジェンド中村俊輔の移籍、「マリノスはCFGを引き入れて終わった」「終わりの始まり」だなどと各種様々な方向から好き放題言われた傷は、(あくまで筆者個人の話で言えば)その2年後シャーレを掲げたという事実をもってしても癒えないほどだ。
そんな時に健さんはトリコロールのユニフォームに袖を通した。健さん自身もリオ五輪メンバー外から再起を期すべく強い決意があっただろうし、マリノスもまた苦難のオフシーズンを経て立ち上がろうとしていた。思えば似た者同士のこの出会いの始まりである新体制発表会。健さんはこう言い放った。
サッカー選手として上手くなりたい気持ちがあった。歴史あるクラブからオファーを受けて、すごくうれしかった。サッカー人生は一度きり。挑戦してみようと思った
練習場を転々とするからチームが弱くなるわけじゃない。自分たちがチームを強くする意識を持てば気にならないと思う
ゲキサカ 環境を言い訳にしない横浜FM松原健「練習場を転々とするからチームが弱くなるわけじゃない」
(あくまで筆者個人の話で言えば)泣いた。
かつてビッグクラブと呼ばれた姿はもうないことは、否が応でも痛感させられていた。「名門」のサポたるプライドはへし折られていた。それでも健さんは「オファーを受けてすごくうれしかった」「自分たちがチームを強くする」と言い切ってくれたのだ。「すごくうれしかった」のは、こっちの方だった。
とはいえ先述の通り、健さんは前任者パンゾーの影に苦しんだ。翌年指揮官が変わって偽SBの動きを要求されて悩んでいたら降格の危機。それでも耐えて信任を得たと思ったら2019年は移籍加入してきた広瀬陸斗(現鹿島)、和田拓也といったライバルにその座を脅かされた。たった2,3行でまとめてしまったが、彼の気持ちは揺らぎに揺らいだ。一時は移籍も検討したと言われる健さん。それでもマリノスでのポジション争いを戦う決意を固める。
出番を失ったシーズン序盤、松原は愚痴をこぼすこともあった。しかし、飯倉大樹や大津、扇原といった先輩たちの出番を失った時期の振る舞いを見て姿勢を正した。
菊地 正典著「トリコロール新時代」p176より抜粋
「そういう先輩の後ろ姿を見て変わるものだなと思う。出ていない選手の振る舞いで今後の方針というか、チームとしての和も変わってくると思う。出ている人が笑顔なのは当たり前。試合に出ることが目標だから。出ていない人たちがどうやれるか。そういうのはすごく大事だと思うし、現にそれができているからこの順位にいると思う。(後略)」
ここまででもうおわかりだろうが、健さんの歩んだ道は「マリノスの産みの苦しみ」と強くリンクする。
かつてエリート街道を歩んだ選手が、かつて名門と呼ばれたクラブでともに再起を図る。ストーリー性に満ちた彼は、実に「エモい」のだ。(この先は田口トモロヲの声で脳内再生していただきたい)
そして健さんとトリコロールのストーリーは、一つの大団円を迎える。2019年12月7日、マリノス15年ぶりの戴冠。
Embed from Getty Images最終節の終り、新チャンピオンの誕生を告げるホイッスルが鳴った時、健さんはその場に倒れ込んだ。膝回りに痛々しいテーピングをした彼は、汗と泥にまみれたユニフォームで顔を隠しながら、両手の拳を天に掲げた。肩が、震えていた。(田口トモロヲここまで)
健さんは優勝の瞬間をこう語る。
――3年前、優勝への強い気持ちを胸に横浜FMに加入してきました。松原選手自身の夢も自ら叶えたわけですが、改めて優勝を手にした今、どんな気持ちですか?
松原 僕がこのチームに移籍してきた理由は「タイトルを取ってみたい」からでした。F・マリノスというチームは常に勝っているイメージしかなくて、タイトルを取るにふさわしいチームだと思っていたので移籍してきたんです。その夢が一つ叶って今は本当にうれしいですし、新しいF・マリノスの歴史に自分の名前を刻めたことは今後の誇りにもなります。だから、本当にうれしいですね。
サッカーキング 【J1優勝インタビュー②】優勝するために横浜FMに加入した松原健…「夢が一つ叶って今は本当にうれしい」
もっともその翌年健さんもマリノスも苦しんだ。過密日程やら最後まで最適解が出なかったチームビルディングやらが災いし、順位は最後まで伸びなかった。
そして健さんは先に述べた戸嶋へのタックルで様々な批判に晒された。ただでさえ1人の選手人生を大きく左右しかねないプレーをしてしまった精神的ダメージ、そこに上塗りされるかのようなバッシング。もはや一介のサラリーマンたる筆者のような者では想像もつかないほどのプレッシャーと彼は戦っていたのだろう。
そのプレッシャーを、健さんは最大級の結果でもって跳ね返してみせる。
先述した彼らしい技巧的なフィニッシュではない。なんなら思い切りよく振り抜いた結果がネットに突き刺さった、いわばラッキーなゴールだったかもしれない。だがなかなか勝ち切れずゴールも奪えなかったチームにとっては何よりの一撃だったし、古巣へのリスペクトとして大喜びはせずグッと握った拳は、彼が悪夢のような2週間を克服した何よりの証だった。ゴール裏最前列にいた筆者はもちろん(プロトコルにのっとって音もなく)泣いた。
マリノスと健さんが歩んだ4年間は、とてもドラマに満ちていて、とても起伏の多い4年間だった。今回の代表招集は一昨年の優勝と同じく大きな栄冠となるだろう。アップダウンを繰り返しながら進歩を遂げてきた健さんにとっては久々の檜舞台。栄冠へ駆け上がる大きな一歩としてほしい。レッツゴー、松原健。
間違えたこっちじゃない。こっちだ。
<この項・了>