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サッカー奇縁まんだら第3回「渡会先生」

白状すると、私はサッカーがド下手だ。
リフティングも5回できたらいい方だし、個人フットサルでもボールが足元にきたら何をしたらいいかわからずあわあわしてしまう。そのくらいド下手だ。選手たちのプレーに普段はケチをつけているが、実態はただの運動音痴なのだ。

サッカーの経験はある。ベンチ暮らしが主だったとはいえ小学生の頃に少年サッカーチームに数年、中学生の頃にサッカー部に3年間いた。だがそれにも関わらず、個人フットサルでは運動神経のいい経験者にタコ殴りに遭う。経験者だと言って参加して「え、下手…」と思われるくらいならと、未経験者だと偽って参加したこともあった。

今も昔も私にとってサッカーをプレーするということは、目を背け続けているコンプレックスを自覚させられる苦行でしかない。

ある日、小中と同じチームにいたレンくん(仮名)と飲んだ。
レンくんは私と違い所属するチームでことごとくスタメンだったし、何よりサッカーのスキルと運動神経に恵まれた選手だった。
サッカー馬鹿というか、もはや「唯一の娯楽としてサッカーボールを与えられた野生児」と言って差し支えないくらい、日がなサッカーボールを追っかけていたような男だった。
加えてレンくんはサッカーを観るのも好きだった。冬の高校サッカー選手権も現地で観に行こうと私を誘ってくれたし、マリノスの試合も何度かいっしょに観たことがある。
観るのも好きだし、プレーするのも好きなレンくんはめきめきとサッカーが上手くなっていった。『好きこそものの上手なれ』とはこういう人のことを言うんだろうな、と子供心に思ったのを覚えている。

そんなレンくんがあたかも「俺たち2人の共通の話題」とばかりに少年サッカーのチームの話や部活の頃の思い出を語るのだが、ド下手のベンチウォーマーだった私にはまったくわからない。
「覚えてる?俺らの1個下にいた×××ってやつ。あいつ今J1でプレーしてるんだよ!すごくね?」
覚えているわけがない。レンくんはAチームのレギュラー、私はBチームの控えだ。そんな雲の上の存在なんて知るわけがない。×××が同じクラブにいたことも当然初耳だ。
「あと俺最近○○中学の近くに住んでるんだけどさ、あそこめっちゃ強かったよなあ」
これも知らない。基本ベンチを温める続けていた身としては、やり合いもしていない相手のことなど覚えていないのだ。あ、でも練習試合で副審やった時、オフサイドとったら文句言われたな。それは死んでも忘れん。

もういいかげんにしてくれ、これ以上こちらの劣等感を掘り返さないでくれ、そう言おうとした瞬間、レンくんは寂しそうにぽつりとつぶやいた。
「いやあ、楽しかったなあ。サッカー。いま全然やってないし、観てもいないけど。」
聞けばレンくんは高校に入学してすぐサッカー部の体験入部に行ったものの、そこで大きな怪我をしたのだという。怪我が完治したのは高校2年生の時で、その頃にはあれほど大好きだったサッカーへの興味も失せたらしい。
「お前は今もサッカー観てるんだっけ?いいな。俺は代表戦だってたまに観るくらいだよ。」
いかにもおっさんが飲むようなジョッキのハイボールで喉を潤しながら、彼はへらへらとそう言った。「筋肉のために食べものも気にしないと」なんてササミを好んでいた中学生の頃のレンくんからは想像もつかない姿だった。

「でもさ、たぶん俺らのサッカー部の中で今一番サッカー好きなのって、お前だと思うよ。」
食べかけの焼き鳥の串で私を指しながら、レンくんはそう言った。まあそうだろうな、ほとんど毎週サッカー観てるし、なんなら血縁関係のない中高生のサッカーだって観にいってるしな。
「なんでお前そんなにサッカー好きなの?全然上手くなかったじゃん。」
うるせえひとこと余計だ縄文人と返しつつ、私はふと過去を振り返った。すると猫背で小太りのおじさんの姿が思い浮かんだ。
「あー、たぶん渡会先生のおかげかな」

渡会先生は、レンくんと私のサッカー部に2年だけいた顧問の先生だ。
いつもダサいヨレヨレのスウェット姿で校庭に来ては、練習終盤の5vs5形式のミニゲームだけ混ざってきた。
当時50歳を過ぎていて、しかもわかりやすくビールっ腹だった渡会先生は、基本あまり動かず私たち生徒をパスで走らせてばかりいた。ただ大人げないくらいフィジカルで私たちを圧倒してくるので、みんな先生からはなかなかボールが取れなかったのを覚えている。
「なんだなんだ、お前らこんなオヤジからもボール取れないのか」
こういう憎たらしい口ぶりで私たち部員を煽ったりもしたし、練習中も試合中も人を褒めることはせず、野村克也に影響されたような皮肉たっぷりのボヤキをかまし続ける人だった。
特に技術的なエラーよりも判断ミスにうるさく、
「なんであそこで相手から目を離したんだ?」
「なんで味方が間に合ってないのにドリブルで抜こうとしたんだ?」
などとひたすら何故かと聞いてくる人だった。
終始こんな感じなので、生意気盛りの部員からはすこぶるウザがられていた。

そんな渡会先生にはエンジョイ勢部活にありがちな悩みがあった。部員不足である。
いや正確に言えば名簿上の部員数は足りているのだが、塾だの他の習い事だので練習をサボるヤツが多すぎるのだ。土日の試合となるとよりサボりが増えて、結果として11人ギリギリの日もあるほどだった。

しかもこの時の11人がみんなうまい選手ならまだしも、日々の練習ですら息を切らし、早く部活が終わらないかと校庭の時計を睨みつけているばかりの私が含まれているときた。どうあがいてもこの下手くそ極まりない肥満児を組み込まなければいけない渡会先生の苦悩は、サッカーをよく観るようになった今なら痛いほどわかる。

そして渡会先生はある決断をする。それまで下手くそすぎてポジションらしいポジションが定っていなかった私をFWに固定するようになったのだ。

決して私の秘めたるエゴを見抜いたみたいなブルーロック的なお話ではなく、「お前は守備ができないから後ろには置けない。一番前で走り回ってろ。」ということだった。
変にプライドがあったら渡会先生の言い草に不満を覚えていたかもしれないが、当時の私は自分のことを部活で一番下手だと信じてやまず練習や試合で周りの迷惑にならないようにという一心だったので、「そりゃそうですよね」とこの消極的なコンバートを粛々と受け入れた。
しかし、思えばこれが転機だった。

私は渡会先生の言いつけを守ってひたすらにピッチを走った。今思えば守備はただのお気持ちプレスだったし、攻撃だってDFラインの裏を取ろうとしても鈍臭過ぎて何度オフサイドになったかわからない。そのたびに何をしてるんだと味方に呆れられながら、それでも走り続けた。というより、下手くそだから走るしかなかったのだ。

下手な鉄砲数打ちゃ当たるとはよく言ったもので、ランダムかつ散発的な走りでも続けているといいことがあった。相手も同じくエンジョイ勢の部活サッカーだったので、相手のミスでうっかり決定機を迎えてしまい始めたのだ。
無論下手くそなのでフリーのチャンスも外すためゴール数は0のままなのだが、何回も何回もしつこくゴール前に駆け込んでいるうちに、相手にとって嫌な位置どりがなんなのかというのが漠然とわかるようになってきた。
こうして「見るからに鈍臭いが頻繁に危険なエリアに顔を出してくる謎の肥満児」が誕生したのだった。

いい位置に顔を出せるようになってくると、それまで数合わせでしかなかった私にも「点を取ってみたい」という欲が湧いてくる。
そこで何かヒントになることはないかとプロのFWのプレーを観はじめると、たしかに超絶技巧で難易度の高いゴールを決める選手もいたが、いい位置をとって簡単なゴールを決める選手もいることに気付いた。
「下手くそでもゴールは奪えるのかもしれない」
そう気付いてから、今まで行くのが嫌で嫌で仕方なかった部活にも少しだけ足が向いたような気がしたし、何よりサッカーというものをちょっとだけ好きになれた。

とはいえ一朝一夕では上手くいかない。
動きの質は上がった気もするし、何度も走り込んでいるうちに「ただの肥満児」から「スタミナだけはある肥満児」にクラスチェンジできたのに、肝心のゴール前でボールが転がり込んできても何もできないのだ。
元々自身への期待値がゼロどころかマイナスなので、「まあ点は入らなくても周りから怒られる回数は減ったし」とネガティブなんだかポジティブなんだかよくわからない開き直りをして、「点を取りたい」という欲に知らず知らずのうちに蓋をしていた。

ある日、サッカー部で定例の保護者会があった。だいたいは夏の合宿をどこでやるとかの連絡が主の会で、私の親は毎度渋々行っている会だった。
それなのに、今回の保護者会を終えた親がやたらと機嫌がいいのだ。夕飯時に何かあったのかと尋ねると口元に笑みをたたえながらこう答えてくれた。
「いやね、顧問の渡会先生が言うんだよ。『私は顧問である以上誰かを特別扱いする気はまったくないんですが、1人の生徒がすごく頑張っているって話をさせてください。』って。」
聞けばその生徒は練習もサボらず、練習も辛そうだけど楽しそうで、試合ではずっと愚直に走り回っていつもいい位置にいるのにゴールだけが遠いという。
「それでしまいには熱っぽく、『私はこの選手にどうしてもゴールを取って欲しいんです。』って言うんだよ、渡会先生。たぶんだけど、あれ、あんたのことだよ。」

とっさの照れ隠しで「いやあ、たぶん違う人だよ」と言って茶碗の白飯をかきこんだけれど、鼻の奥にツンとしたものを感じた。
サッカーだけでなく運動に関することで、誰かから期待を受けたのは、きっとその時が初めてだったからだ。
「渡会先生の期待に応えたい」という新しいわがままをテコにして、「点を取りたい」という欲求を覆っていた蓋をこじ開けた瞬間だった。

ただ、渡会先生は程なくして異動になってしまった。先生の目の前でゴールを決めることは出来ずじまいだったし、何より先生にお礼のひとつも言えないままだった。

新しく顧問に就任した先生は徹底的な実力主義の人だったし、新たに入ってきた1年生の方が当然私より運動神経がいいので私は大量リード時にお情けで使ってもらう程度になった。
それでも念願の初ゴールを含めていくつかごっつぁんゴールを決めてきたのだが、序列は一向に変わらなかった。

味方がスパイクやユニフォームを泥や汗やたまに血で汚している中、私はきれいなままベンチに座るだけ。試合から帰って目立つ汚れのないユニフォームを洗濯カゴに入れるたび、自分は彼らと同じ土俵に立てていない蚊帳の外の人間なんだと痛感し、私はまた自分で自分に期待をするのをやめた。

そんな折、渡会先生が顧問を務める中学校との練習試合が組まれた。
いつものように私はベンチで記録ボードに味方の名前とプレーを書き込むだけで、結局渡会先生の前でプレーすることはなかった。

ただ試合後に渡会先生に挨拶することができた。
「おう、お前か。」
相変わらずヨレたスウェット姿の先生は、私の身なりを見回して鼻で笑った。
「お前、出てなかっただろ?1年にポジション奪われたのか!情けないなあ。」
憎まれ口は健在といったところか。私は苦笑いを浮かべながら、まあそんなところです、と返した。
「そんなところってなんだよ。部活楽しいか?」
まあ、ぼちぼち。苦笑いのままそんな可愛げのない回答をした。
すると先生は身体を私の方に向き直し、私の目をしっかり見据えてこう言った。
「じゃあ、サッカーは?サッカーは好きか?」
えっ。そんなことを聞かれると思わなかったので言葉が出なかった。

部活は正直また惰性で行くようになっていた。友達とだべるための時間としては最高だったが、どうせ上達せず試合には出られないと思っていたので練習もなあなあになっていた。
けれどサッカーは相変わらず、というか前よりもっと好きだった。
たまたま手に入ったフィリッポ・インザーギのプレー集はずっと観ていたし、なけなしの小遣いで日産スタジアムに行くようにもなった。
何より数万回に一度くらいの稀な出来事ではあるが、いいプレーをした時の昂ぶりが忘れがたかった。
DFラインから抜け出してボールを受けた時の開けた視界、ボレーを打つ時の足の甲に残った感覚、ネットが揺れた時のバシャッという音、なんでマーク外されてんだよと怒鳴る相手GKの声、駆け寄ってくる味方たち。
全てが何にも替え難くて、どうしようもなく心地よかった。

「えっと。好きです、たぶん。まだ、上手くないんですけど。」
色んな思いが交錯して、私はたどたどしく言葉を繋げるのがやっとだった。
「そうか。ならいいや。元気でな。」
へっ、と笑って渡会先生は踵を返し、酒で膨れた身体をゆすりながら自分たちのチームのもとへ戻っていった。
夕焼けがまぶしい秋口のことだった。

それからすっかり大人になって、私はいまだにサッカーが好きなままだ。
プレーする時の感覚はとうの昔に忘れたけれど、それでもいまだに私にとってサッカー以上にドーパミンを分泌させる娯楽はそうそうない。
渡会先生が今どこで何をされているのか、そもそもご健在なのかも知る術はない。けれども、もし会えたなら、今度はどもらず澱みなくちゃんと伝えたい。
「おかげさまで、まだサッカー好きですよ」と。

<この項・了>

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