私にとって小林祐三は、「どうしても語りたくなる選手」だった。
2020年12月3日、私が好きなサッカー選手の1人、小林祐三がプロキャリアに幕を引いた。それを知らせたのは、彼がパーソナリティを務めるPodcastの更新通知だった。
タイトルからして、彼がプロ生活にピリオドを打つことは分かったし、瞬間に込み上げるものもあった。
Podcastを聴くと「プロをやめるだけで、サッカー選手はやめない」と彼は言った。
なので、選手引退時にサポーターが書く心境を吐露する”お気持ち表明文”は書かないと強がった私だが、やはりダメだった。どうしてもパンゾーさん(彼のニックネーム)について語りたかった。「こんなにカッコいいプロフェッショナルがいたんだ」と言葉にしたかったからだ。
私にとって小林祐三は、「一目惚れした選手」だ。
Embed from Getty Imagesパンゾーさんが私が愛するマリノスにやってきたのは、レジェンド松田直樹がチームを去った2011年だった。
チームの応援歌じゃないが「気づいたときにはもう」マリノスは私のお気に入りだった。
だがクラブというよりレジェンド松田直樹(マツさん)が好きだった私は、埋めようがない穴をどこかに感じていた。マツさんのいないマリノスなんて、とクラブを応援する意義を見失いつつあったのも事実だ。
その白に近い金色の髪は、私の目には新鮮に映ったことを覚えている。
日産スタジアムの2階席からだと遠すぎて選手はよく見えないことがある。けれど、右サイドを走る金髪のニューカマーは脳裏に焼きついた。マツさんのいないマリノスなんて、とも思っていた私は、知らず知らずのうちにパンゾーさんを目で追った。
「カッコいいなあ、マリノスの13番」
ある日私が無理やりスタジアムに連れてきた友達が、ぽつりと言った。
その言葉がぼんやりした私の感情を明確にした。そう、カッコいいのだ。事もなげに被カウンターのピンチを潰すその姿が。対面のウィングをじわじわと追い詰めていく詰将棋のような対人守備が。金髪でチャラそうな見た目の人が堅実なプレーをするその姿が。
「気づいた時にはもう」彼を目で追っていた私は、ついに意識的にパンゾーさんのプレーを見るようになっていた。
私にとって小林祐三は、「Jリーグの楽しみ方を広げ深めてくれた選手」だった。
Embed from Getty Imagesパンゾーさんを追うべく、日産スタジアムで私が選ぶ席は右端になった。
最初は彼が時折見せる持ち上がるドリブル(私は陰でこっそり”靜学ステップ”と呼んでいた)を観たくてそこにしたが、徐々に楽しみは彼とその前の選手の関係性を見ることにシフトしていった。前でプレーする選手が、若手だろうが玄人だろうがはたまた入りたての助っ人外国人選手だろうが、パンゾーさんとプレーするとあまり穴が見えないのだ。
選手個々にばかり目を向けてしまいがちな私が、ユニットとしての強さ、ひとつずつのプレー選択の90分のゲームに与える影響度に気付けたのは、パンゾーさんを観ていたおかげだと思っている。
また、Jリーガーはオフザピッチで文化的な側面を見せることはない、だからその選手がどんな人柄や嗜好なのかは知る必要がないという固定観念もパンゾーさんは壊してくれた。選手主催の音楽イベント「マリノスナイト」。チケットの倍率がとんでもなかったので結局パンゾーさんがフロアを沸かせるところはついぞ拝めなかったが、その取り組みを初めて知った時は衝撃を受けた思い出がある。
サッカーほどではないが音楽も好きな私としては、未来永劫叶うことがないと思っていた好きなものと好きなもののコラボレーションが、選手本人発信で実現されたという事実だけで十分嬉しかった。
サッカー選手も人であり、オフザピッチの日々も当然ある。彼らのそんな姿も知った上で試合を観ると、私と同じように(というかDJプレイをしている時点で私以上に)音楽を好み、ガンダムの最新作に飛びつく人が、あんなにカッコいい仕事をしていると思えてよりのめり込んでいった。
Jリーグの楽しみ方は派手な選手のプレーやスコアだけでなく、プレーの及ぼす影響やオフザピッチの人間性など様々にある。多角的な楽しみ方ができるエンターテイメントなんだと思えたのはパンゾーさんが贔屓クラブにいたからだ。
だからこそ、私はパンゾーさんが輝いた2013年、マリノスにリーグタイトルをとって欲しかった。
Embed from Getty Images彼自身も、彼の隣でプレーした栗原勇蔵も、この年のシャーレを逃した悔しさが色濃く残っているらしい。
その年明けの天皇杯こそ得たものの、「パンゾーさんのいるマリノスにシャーレを」という夢は結局叶わなかった。それどころか唐突に夢の終わりが告げられる。2016年の冬、契約満了に伴う退団。何の根拠もないけれどパンゾーさんはプロキャリアの最後までマリノスで過ごすのでは、なんて呑気に思っていた私にとっては晴天の霹靂だった。
余談だがこの日の私は3年後に優勝するなどとは夢にも思わず、先見の明のようなものもカケラもなかったので、クラブに心底失望していた。その時散々わめき散らした私の愚痴を全て聞いてくれた美容師さんは、今でも私のかかりつけの美容師さんだ。
蜜月の関係と思える選手との関係性も、前触れもなく終わることがある。自分が愛したチームは瞬く間に解散することだってある。だからこそ好きなチームには惜しみなく愛を注ぐべきだとこの時知った。
私にとって小林祐三は、「いつだって別れは突然だと痛感させられた人」だ。
私にとって小林祐三は、「続編が楽しみな人」だ。
Embed from Getty Images先述したとおり、パンゾーさんはまだスパイクを脱がない。
プロ選手こそ引退するが、彼は「転職」「移籍」という言い回しを使ってこの決断を表現する。つまりパンゾーさんのサッカー人生にはまだ続きがあるのだ。その決断を下支えした思いについて、彼はこう語った。
しかし、僕のサッカーの可能性、その追求というのは、近年も広がり続けているんですよ。サッカーそのもの、プレーそのものはまだやり切っていない。
サガン鳥栖 小林 祐三選手 インタビュー 前編 「Jリーガー “パンゾー”は、卒業して『らしく生きていく』」
「Jリーグがどんなものか」は、だいたい分かった。けれど「サッカーってこんなものか」とはまだ思えていない、まだ分からないことがたくさんあります。Jリーグとサッカーは、イコールではないんです。
マリノスでの6年間を断片的に見ていた私ですら、「小林祐三のプレー」を存分に味わった感覚がある。日産スタジアムの右端で彼の背中を追い続けていたのだ、それでもまだパンゾーさんはプレーそのものをやり切っていない、と言っている。ということは私もまた、小林祐三のプレーを楽しみ切ってはいないのだ。パンゾーさんのPodcastも終わらないらしい。リスナーとしてもまだ楽しみは続くようで何よりだ。
小林祐三にはまだ続編がある。
サッカーを観ていると、トップレベルでのサッカー生活の終焉=物語はひとまず幕切れ、ということが多い。ヨーロッパのトップレベルのチームから移籍した場合でも、往往にしてその選手は語られなくなり、ファン・サポーターの中にはさもその選手の物語が終わったように感じたりする。プロ生活の引退ならなおさらで、その選手が指導者になるなどしない限りは、終わったと思われる。
そんな中、パンゾーさんはまだ続編があることを示している。ZZで留めずに逆襲のシャアも関心を絶やさず観た者として、何より彼のプレーに一目惚れした身として、私も続編まで楽しみたいと思う。
最後に、かなりキザな言い回しだが、これだけは伝えたい。
私にとって小林祐三は、「たまらなくカッコいい人」だ。
Embed from Getty Images追伸。「会社員の人のPodcastなんてw」とパンゾーさんは言っていたが、会社員の私のPodcastにもある一定の再生回数はあるし、選手も出てくれたので安心してTT LOUNGE FMを続けてほしい。
<この項・了>