目次
はじめに
どうも、「コロナウィルス許すまじ」系マリサポのお市です。Jリーグが延期になると週末やることが少なくなりますね。レビューやプレビューもない平日もなんか味気なく感じます。
そんな中、一冊のムックが発売されました。「トリコロール新時代」(以降、”本書”と称する)です。
この本はつまるところ、2019年エルゴラッソのマリノス担当記者を務めた菊地正典記者による取材録です。ただ、かなり近くで取材していた菊地記者だからこそ書ける内容が多く、アンジェマリノスの成功要因、ひいては今後を考える材料が散りばめられています。
今回はその中から気になった部分を抜粋し、それを無闇矢鱈に拡大解釈なりなんなりして感想を述べていこうと思います。つまるところ読書感想文です。学生時代に作文を書けば必ず佳作を獲得してきた私の文をご笑納ください(なお、優秀賞以上は一度もない)。
ブレないボスが及ぼす影響
Embed from Getty Imagesボスことアンジェ・ポステコグルーの手法は、マリサポにとってはもはや馴染み深いものだ。
- 選手とは距離をとる
- 特定の選手と個別に話すことはない
- 練習はコーチに仕切らせて自分は全体を俯瞰する
この辺も本書には詳細に書かれている。好んで選手とコミュニケーションをとる「モンちゃん」ことエリク・モンバエルツ前監督とは真逆だ。あまり親しみを覚えないボスの指導スタイルは一見すると冷徹にも思える。
けれどこの手法は、とてつもなく平等だ。国籍も年齢も在籍歴も関係ない。「監督のお気に入り」と呼ばれる贔屓は基本発生せず、チームのプレーモデルへの親和性と日頃の取り組みが評価される。「18年序盤は試合に出られないばかりか紅白戦に入れないこともあった(本書p36)」テルが瞬く間にエースの座まで駆け上がったことからも、その評価軸は窺えるだろう。
だがボスの最大の強みは、やはり「ブレない」ことだ。標榜しているアタッキング・フットボールを曲げたことは、ここ2年間を見ていても1度としてなかったように思う。そんな一本気なボスのエピソードが本書では紹介されている。2018年、3−0で勝ち切ったホームの鹿島戦のことだった。
結果最優先で守備に回る時間も受け入れ、それでも耐え抜いて勝ち切ったゲームの直後に、ボスはこう言い放ったという。
「一体なんだ、あのサッカーは。私はあんなサッカーをしろとは言っていない。あんな内容で勝っても、私はうれしくない」(本書p21より抜粋)
たしかにハイライトを見ても、マチさんのゴールにこそ手応えあったかガッツポーズをしているものの、終始ボスの表情はどんよりしている。極め付けがこの試合後コメントだ。
「選手たちとサポーターにとっては、非常に嬉しい結果になりましたけれど、非常に難しい試合でした。なかなかコントロールができずに、ここ数試合に比べると、あまりコントロールできていなかったのではないかと思います。
ただ違っていたのはチャンスのところで、しっかり決め切ることができて、守備のところでもしっかりハードワークができていたと思います」(試合後コメントより抜粋)
冒頭の「選手たちとサポーターにとっては」という枕詞に自分は満足していないというメッセージが色濃く出ているように思えるのは、私だけだろうか。めちゃくちゃ怖い。
3−0で勝っても指揮官のオーダーとは異なるプレーだったら満足しないし、それどころか「そんなもの求めていない」と叱責する。このやり方を受けて選手の反応は様々だったという。
考え方の不一致により、監督への信頼感を失った選手がいたのも事実だった。だがその一方で、「この人はここまでブレないのか」とポステコグルー監督を見直した選手がいたこともまた、事実だった。(本書p21より抜粋)
ボスがマリノスに導入したものは数多い。トレーニングメニューや1週間のサイクルの使い方、攻めのパターン、ハイラインを活かした刈り取る守備など、枚挙にいとまがない。
だが最も重要だったのは、マリノスに明確なビジョンを与え、それを頑なに掲げ続けたことだと思う。「マリノスはこういうサッカーをするチームなんだ」とピッチでのパフォーマンスを通して観る人に発信するのはもちろん、鹿島戦での叱責のようなチーム内への意思表示も欠かさず実施したのが大きかった。チームの各位に「このチームでは何が良くて何が悪いのか」の”ものさし”(判断基準)が共有されるからだ。その”ものさし”に違和感を覚える選手は「音楽性の違い」よろしくマリノスを出ていくかもしれない。だがそれでも残った選手たちは、同じ”ものさし”に共感している。だから同じ方向を向いて仕事ができる。
こうした”ものさし”はチームマネジメントの観点からして非常に重要だ。マネジメントの名著『学習する組織』(ピーター・センゲ著)では「共有ビジョン」と称され、次のようにその必要性が説かれている。
つまるとこそ、共有ビジョンとは「自分たちは何を想像したいのか?」という問いに対する答えである。個人ビジョンが人それぞれの頭や心の中に描くイメージであるのと同じように、共有ビジョンも組織中のあらゆる人々が思い描くイメージである。
(中略)
真にビジョンが共有されているとき、人々はつながり、共通の志によって団結している。
(中略)
実のところ、人々が共有ビジョンを築こうとする理由の一つは、結束して重要な仕事に当たりたい欲求があるからと考えるべきなのだ。(『学習する組織』p281より抜粋)
集団競技であるサッカーにおいて団結は不可欠だ。シーズンの浮き沈みの対処方から1試合の1プレーの選択に到るまで、様々な場面でチームが「個人の集合体」ではなく「ひとつの生き物」になるよう求められる。ボスが頑なに掲げ続けたアタッキング・フットボールという共有ビジョンは、マリノスにとってはまとまるために重要な錦の御旗だったといえよう。
このようにブレずにビジョンを掲げ続けたリーダーシップこそ、ボスが真に評価されるべきポイントなのではなかろうか。
※ちなみにサッカー越しに考えるリーダー論については、りょーさん(@YFMsupo)がすでにnoteを書いているので、そちらをご参照ください。
「自責の支持者」喜田拓也
Embed from Getty Images興奮気味に持論を展開しすぎたので本書『トリコロール新時代』に話を戻そう。本書には様々な選手のコメントが載っている。とりわけ松原健のコメント率は高い。代表的なものだと、スタメン奪取に到るまでに出番を失った時期を回顧した言葉は含蓄に富んでいる。
出番を失ったシーズン序盤、松原は愚痴をこぼすこともあった。しかし、飯倉大樹や大津、扇原といった先輩たちの出番を失った時期の振る舞いを見て姿勢を正した。
「そういう先輩の後ろ姿を見て変わるものだなと思う。出ていない選手の振る舞いで今後の方針というか、チームとしての和も変わってくると思う。出ている人が笑顔なのは当たり前。試合に出ることが目標だから。出ていない人たちがどうやれるか。そういうのはすごく大事だと思うし、現にそれができているからこの順位にいると思う。(後略)」(本書p176より抜粋)
またブンちゃんことティーラトンに至っては、かなりの苦悩の末に今の立ち位置を掴んだことを伺わせる。
「中に絞ってプレーするなんて初めてだった。耳で聞けば言っていることは分かるけど、実際にプレーしてみると分からない。(中略)最初はマリノスのサッカーはこんなに難しいのかと思って挫折した。毎日が不安で不安で、練習にも行きたくないし、早く帰りたかった。(後略)」(本書p166より抜粋)
「『なんで?』から『やってみよう』という気持ちに切り替えたとき、今まで見たことがないスタイル、見たことがないサッカーの楽しさが見えてきた。マリノスでボスの戦術や毎日のハードワークに耐えれば、どこに行っても怖いものはないはずと思えるようになった」(本書p167より抜粋)
健さんもブンちゃんも揃って悟りを開いた僧侶のようなコメントである。「ポステコ教」の呼称もあながち間違いじゃない気がしてきた。
だがそんな本書の中で最も分量をとり、2章をまるまる使って紹介されているのが、キャプテン喜田拓也だ。
2013年の優勝を逃したシーン、マチさんこと中町公祐との背番号8を巡る物語など、2章は彼のマリノスへのロイヤリティ(忠誠心。©️中町公祐)を語るエピソードが目白押しだ。
ただ、この2章でもっとも注視すべき喜田プロの美徳は、自責で考えるストイックな姿勢だと私は思う。
2018年シーズン、喜田にはなかなか出番に恵まれなかった時期があった。ホーム柏戦ではSBとして緊急出場して、それでも貢献したにも関わらず、次の浦和戦では起用されなかった。その時の喜田の描写が印象的だった。
悔しかった。ただ、そこで不平不満を言ったり、態度で示したりしないのが喜田という選手だ。自分のエゴでチームを乱すことなど、喜田の脳内には欠片もない。
「そこには何かしらの理由があるはず」
そう、すぐに矢印を自分に向けた。(本書p78より抜粋)
2019年、レギュラーを掴んでもその姿勢は変わらなかった。代表的なエピソードが、彼がマンオブザマッチに選ばれた2019年シーズン第2節仙台戦の試合後インタビューだ。
「守備面だけではなく、攻撃面でも成長したのでは?」
そう記者に問われると喜田は「伝わらなくてもいいんですよ」と前置きしながら、こう続けた。「この世界はイメージで語られちゃうことも多いから」。
(中略)
「何ができて何ができないのか。それを自分で分析しながら練習でコツコツ取り組んできたから」(本書p94より抜粋)
誰の評価を気にするわけでもない。相手がどうだったから、味方がどうだったから、そういった周辺の話もしない。自分で自分の改善点を考えて成長につなげていった自負がたしかに感じられる力強いコメントだった。
こうした自責で考え「コツコツ取り組んで」いく姿勢は、「私に正解を求め過ぎないでほしい」(本書p54より抜粋)と公言するボスの意図と見事に合致する。「なぜ俺を使わない?」と指揮官を問いただす勇気も時には必要だと思うが、自分で課題を検出し、自分でその解法を導き出す喜田の姿勢こそ、ボスが求めていたものではなかろうか。
こうした姿勢は、やがてチームメイトの信頼を勝ち得ていくことになる。チームメイトは喜田をいじり倒しながらも惜しまず賞賛している。
「人間としてリスペクトしているし、キー坊の努力はみんなが見ている。それを僕は一番近くで見ている。だからこそ、ライバル関係だとしても仲間。どんな状況でもチームのために頑張るという気持ちをお互いが持っている」(扇原談。本書p98より抜粋)
「歳下だけどめちゃくちゃ頼もしいから。(中略)一つひとつの発言に重みがあるし、責任感もある。プレーでも攻撃にも守備にも顔を出して、90分間永遠に走っている。だから、歳下だけどついていきたいと思う。」(朴一圭談。本書p110より抜粋)
さらにただ「すごい」と言われるだけに止まらず、先述した松原やティーラトンのように、喜田の自責の姿勢は周囲に伝播していった。2018、2019とマリノスは様々な対策を打たれ、その中にはトップ下のマルコスへの執拗なマークや、中央に絞った偽SBの裏を使うなど、個人を狙い撃ちするような作戦もあった。それでも対策を一つずつクリアできたのは、「自分に何ができて何ができないのか」と分析する自責の姿勢が根付いたからではなかろうか。
またボスの掲げるサッカーに、喜田自身が共感を覚えて楽しんだことも大きかった。
ポステコグルー監督が「(前体制から)180度違う」と言うほど大きく舵を切ったことに戸惑う選手もいたが、喜田は好感触だった。ポステコグルー監督が率いるチームで初めて感じたことは、「楽しい」だった。(2018シーズン始動時のこと。本書p76より抜粋)
そして1年後、キャプテンに就任した喜田は本書の帯に書かれたこの言葉を発する。
「とにかく、信じてやってみようよ」(本書p91より抜粋)
このようにボスのサッカーに共感し、ボスの求める姿勢を体現してチーム各位のモチベーションを喚起する喜田は、ボスにとって最高の「支持者」だったと私は思う。
以前私のnoteで触れたTEDの中で、リーダーと支持者の関係性を説くプレゼンがあったので紹介したい。
結果が出なかった2018年を踏まえてもなお同じスタイルを貫くボスを前にして、疑問を抱いた選手もきっといただろう。だが「とにかく、信じてやってみようよ」といってボスに続いてアタッキング・フットボールの構築に身を捧げた喜田がいたからこそ、マリノスは王座に返り咲けたのではなかろうか。もしここで喜田が「スタイルはともあれ、今シーズンはとにかく結果を出そう」と言ってしまっていたら、チームが空中分解していた可能性もあったはずだ。
控え選手たちの心意気を揺さぶった大津兄貴、喜田をして「ずっと高め合ってきた存在」「自分のことを理解してくれている」(どちらも本書p98より抜粋)と言わしめた扇原、MVPで得点王のエース仲川や1年目から得点王を獲ったマルコスなど、快挙の立役者は1人に絞れない。それでも、自責の姿勢をチームに根付かせ、アタッキング・フットボールの大成に貢献した背番号8の功績は格別だったと私は思う。
アタッキング・フットボールである必要性
Embed from Getty Images本書の内容から若干脱線するし、こういう「たら・れば」はフットボールの世界ではタブーとされているが、ちょっと突っ込んでみる。
例えばボスが堅守速攻をモットーとする監督だったらどうなっていただろうか。ボスの父上が「ボールは高く出せ」「ロングボールは全てを解決する」「力こそパワーだ」とアンジェ少年に説き続け、支配率度外視のサッカーを掲げたならば、ボスはマリノスという組織を変えられただろうか?(そもそもその手の監督だったらマリノス側がNG出したかもしれないけど)
私は「できなかった」と思う。
たしかに先述したビジョンを明確に打ち出すボス、そこに喜田や大津というロールモデルがいれば、どんなサッカーでもマリノスは学習する組織になったのでは?とも考えられる。またサッカーのスタイルと組織の成長は組織の成長と無関係にも思える。
だが、「困難への挑戦」と「ボールと共にプレーする喜び」が両立できるこのサッカーだからこそ、マリノスの体質も変わったのではないだろうか。
言うまでもなく、アタッキング・フットボールの実施は困難だ。2018年12位に落ち込んだように、それで結果を出すのは至難の業と言っていい。ましてや今まで堅守速攻をモットーとしていたマリノスとしてみれば、急激な方向転換だ。ただ、困難だからこそ選手個々人はその実現に集中する。ここは「自分たちのサッカー」が出来たかどうかという評価軸を、ボスが口すっぱく繰り返してたのも関係しているのではなかろうか。
しかし単純に難しいだけのサッカーではやる気が失せるし、魅力がなければ「自分たちのサッカー」を誇ることもない。困難があっても結果がついてこなくても続けようと思えるのは、やる側からしても楽しくて魅力的なサッカーだったからだ。ボール保持と攻撃に重きを置いたサッカーがなぜ楽しいと思えるかは、ボスのこのコメントが示唆に富む。
「小さい頃を思い出してくれ。小さい頃は相手ではなくて、自分がずっとボールを持っていたかっただろ?戦術なんてどうでも良かったはずだ。ずっとボールを持っていたい。自分がゴールを決めたい。だからサッカーは楽しかったはずだ。プロになったからといって、なぜその気持ちが変わるんだ。」(本書p17より抜粋)
常に攻め続け、常にゴールを狙うサッカーは、一心不乱にボールを追っていた子ども時代の喜びを喚起する。それで結果がついてくれば、喜びは何倍にも膨れ上がる。
「自分たちは難しいチャレンジをし、とても楽しく魅力的なものを作り上げようとしているんだ。」こうした単なる勝ち星を積み重ねる以上の自負と使命感がマリノスにはあった。その様子が伺えるのが、ホーム広島戦前の描写だ。
選手たちにも「見ていて楽しい」、「楽しんでサッカーしているでしょ?」という声は届いていた。だからこそ、堅守と言われるチームを自分たちの攻撃サッカーで崩し切りたい。そんな思いを抱く選手は少なくなかった。喜田は「大げさかもしれないけど、サッカー界的にも意味がある」とさえ思っていた。横浜FMが広島のようなチームに勝てば、攻撃サッカーが主流になるかもしれないと。(本書p170より抜粋)
日本サッカーをどうこうなんて大それたことを、と当時の私は正直思った。だが、「大げさかもしれない」この自負や使命感こそ、チームの成長を下支えしていたのではなかろうか。
マリノスは、今年の開幕戦で早速つまづいた。対戦相手のガンバのように「マリノス対策」をきっちりやってくるチームは今後も多く出てくるだろう。その辺りは実際にプレーする選手たちもよくわかっているが、だからといって目標を下げてはいないようだ。
扇原は連覇について「どう考えても簡単な道のりではない」と断言する。(中略)ただ、扇原は厳しいシーズンになると分かった上で「楽しみ」と目を輝かせる。そして連覇を目標にすることを堂々と宣言した。
「昨季が始まったとき、僕らが『タイトルを獲る』と言っても誰も信じてくれなかった。でも、自分たちは信じてやってきた。その結果、優勝できた。だから今年も優勝を目指したいし、ACLやいろんな大会がある中で全部のタイトルを目指している」
(本書p204より抜粋)
課題に直面したのは今回が初めてじゃない。厳しい2018年もあったし、2019年だって夏場の3連敗があった。「自責で学習する集団」たるトリコロールがもう一度リーグの頂点に立ち、常勝軍団へと進化できるよう今季も精一杯応援していきたい。
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