【愛と怒りと】#わたしとマリノス【悲しみの】

どうも、「ACL遠征いきたい」系マリサポのお市です。脚はLCCでとるとしても休みをどうとるか。。

さて、川崎戦のレビューを書いていない申し訳なさはありますが、俺たちのロッドさん(@TricoGunner10)、ユウさん(@U__888)がエモエモしい記事を書いてくれました。

hamatraの「My First Game」も大好きな私としては、むちゃくちゃ楽しく拝読させていただきました。こういう機会だからこそ、自分のマリサポとしてのルーツを思い出して、最終節へのモチベーションを上げていくのもありですね。

流行り物には乗っかりたくなるもので、私もしれっと書いてみようと思いましたが、どうも上手くまとまらなさそうな雰囲気があったので、印象深かった2016年に絞ってお話します。「#わたしとマリノス」のパイオニアたるロッドさんは「ご自身のマリサポ遍歴やらマリノス愛を思う存分に語ってみて」と仰ってたので、スタート地点だけじゃなくてもいいかなと(拡大解釈)

それではさて説きなん。

 

きっかけは野次への怒り

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オレがマリノスを好きになったり、サポーターを名乗ったりしたのはもっと前の話だと思う。
だけど経済的に安定して、ユニフォームが買えるようになって、スカパー(当時はDAZNありませんでしたから)に抜かれて「これお前じゃねw」と友達に煽られるようになって、、といわゆる「Jリーグサポーター」らしい生活をし始めたのは2016年だった。初めての飛行機遠征となった福岡戦で「遠征の肝は飯と名跡巡り」と確信した年でもあった。

そんな思い出深い2016年でもひときわ鮮明に記憶している試合が2つある。1つはホーム開幕戦となった仙台戦だ。

印象に残っているゲームって言ったら普通、めちゃくちゃ勝った試合とか、逆転かました試合とかをあげるところだ。それでも拍手した手がかじかむほどの寒さから、「戦え横浜」のチャントをがなってできた喉の痛みまで生々しく覚えているのは、このどうしようもないゲームだった。

というのも、オレの後ろにいた中年夫婦が1人の選手を名指しで批判し続けていたからだ。その選手こそ、当時大卒3年目だった背番号29番、天野純(以下AJ)。当時絶対的な司令塔だった中村俊輔の代役として開幕スタメンを張った。だが、そのパフォーマンスは悲しいほど低調だった。

「天野お前走れよ」

「シュンさんみたくもっとやれよ」

なまじ中村俊輔というアイコン(※当時の話です)の代役と言われたもんだから、AJの期待値はやたら高かった。けれど高すぎる期待値との不一致は否めなくて、失望するのも仕方なかったかと思う。けど、同時にこうも思った。

「いやアンタら(中年夫婦)言い過ぎじゃね!?」

たしかに立ち位置に困ってるようなところはあった。
だが、走ればすべての問題が解決するような状態でもなかったし、あえて前目のポジションに残ろうと心がけているところも見えた。
それなのに「走れ」だ「シュンさんみたくやれ」だはおかしくないか、と。
立ち位置もボールをもらった時のプレー選択も、彼なりの考えがあってのことだったはずだ。なのに、その理由をわかろうともせず批判しながら、「気持ち見せろよ愛するマリノスのため」と呼びかけるのはなんか違和感、、、いや正直に言おう。怒りを覚えた。

帰り道ホクホクしている金色と、がっくり肩を落とすトリコロールの波の中、「周りはどうあれ、せめてオレはもっとサッカーを理解したい。主観的すぎる批判はしないようになりたい。」と願った。(って書きたいんだからさあ、もうちょっとマシなコメントしろよ3年前のオレ。中年夫婦とあんま変わりねーぞ。)

野次られていたのはこの年のAJだけではない。マルキと比較された翔さんも、ひたすら仕掛けることを要求された渓太も、モヤっとする批判の槍玉に挙がっていた。よせばいいのにオレは見聞きしたその批判一つ一つに腹を立てた。そしてその度サッカーを、マリノスを理解したいと願った。モチベーションの出元が「怒り」っていうのも実にダサいが、事実なのだから仕方ない。この怒りをテコにして、マリノスの選手を理解しようと観戦数は増えたし、漫然と見ていたヨーロッパのサッカーも色々考えながら見るようになった。

あの時違和感を覚えることもイラっとすることもなく、中年夫婦の野次に乗っかって「そーだそーだ!ちゃんとやれ天野!」とか言っていたら、今ほどサッカーやマリノスにどハマりしていないだろう。ブログやキャスをやって「レビュアー」なんて分不相応な肩書きをいただくこともなかったに違いない。ありがとう、野次しがちな中年夫婦。あなた方のおかげでサッカーのサの字くらいはちょっとわかってきたかもしれない。

 

トリコロールに支えられて

https://youtu.be/OKnqRYl3HGw

(何気にまだ困り眉のころの渓太が映ったり、カ○ケさんがシュート上手いのがわかる歴史的映像である。消さないでくれたスカパーさんに感謝。)

記憶に残っているもう1つの試合は、夏の日立台。AJのアシストで2-1で勝ったゲームだ。オウンゴールを誘発した低弾道クロスをAJがねじ込んだ瞬間、オレは生まれて初めてサッカーのゲームで泣いたし、北の国からの五郎さんばりに「じゅうううん!じゅうううん!」と叫んだ。

当時オレは、身の丈に合わない重役を断れず、嫌々ながら仰せつかってしまっていた。上司は怖くて仕方ないし、立ち位置ゆえに他のチームメンバーからの期待値だけがやたら高かった。本当に畏れ多く恥ずかしい話だが、AJに入れ込んでいたのは、中村俊輔と比較されたりピッチ上で難しいタスクを担っていたAJにシンパシーを感じていたからだと思う。

日常は厳しくなる一方だった。
会社に行く電車の中で具合を悪くし途中下車したことは1度や2度じゃない。やっとの思いで職場に着いても何度も叱られ、「自分はなんてダメな人間なんだ」と自責の念に駆られる負のループ。そんな日々が続いて、ついに医者に「うつ病ですね」と言われてしまった。

薬さえ飲めばなんとかなると信じて服用したものの、状況は悪化した。処方されたうつ病の薬はとてもキツく、副作用の吐き気で仕事どころじゃなくなったのだ。どうしたらいいのか見当もつかない日々だった。

そんな中、日々の唯一の楽しみがマリノスの試合を観ることであり、試合に出るたびに自信をつけていくAJを観ることだった。
開幕仙台戦で所在なさそうにしていた29番は、日増しに存在感を強めていく。先述した柏戦でのパフォーマンスを皮切りに、段々と結果を残し始め、年末の頃にはもはや語り草となったフリーキックも叩き込んだ。

AJと彼が躍動するエリク・ヨコハマは、3歩進んで2歩下がるような進捗具合だったかもしれない。今のマリノスを知る人からすれば、退屈で機能美に欠けるサッカーだったかもしれない。けれど、彼らを応援しているうちに、どうしようもない日々に少し希望が差した気がした。「苦しんででも前に進めば、報われる日だってくるかもしれない」そう思えたのだ。

「他人にお前の人生乗っけるな」とどこかの誰かから言われそうだが、オレにとっては他ならぬマリノスこそが心の支えだった。ベタな言い方だが、「応援しているはずが応援されていた」からだ。起き抜けのメンチカツばりに重い発言だが、今こうして日々を過ごしていられる理由のうちの1つは、確実にマリノスだと言える。

 

ただ勝利だけを信じて

 

苦しいこと、困難なことに立ち向かう姿勢は、オレのような観客にも何かを与えてくれる。ここ数年チャレンジ続きのマリノスは出血大サービスで与えまくりだ。エリクから立ち位置を守ることを教わり、アンジェがその応用を授けたこのチームが取り組んできたサッカーは、ただ実行するだけでも難しい。その上結果まで残さなければいけない難しさは、去年の成績を見て貰えばよくわかると思う。

荒波を乗り越え続けたチームに報われてほしい--。そう思うと、自分の中でモチベーションの根底が変容していった。

思えばオレは、先の中年夫婦への怒りに始まり、様々なものに腹を立ててきた。東に「強くなるビジョンが見えない」というものあらば「もうあんたなんか知らない」と言い、西に「蹴れないポジショナルプレー」というGMあらば「実装中や!放っとけ!」と言う。そんな人たちを見返したいと思ったことは何度もあった。

ただ、最終節を前にした今の気持ちに、怒りはない。困難なプロジェクトを乗り越えてきたこのチームに、チャンピオンチームとしてその名を残して欲しい。つらい日々を支えてくれたチームに、サポ友達に感謝したい。そんな(オレにしては殊勝な)気持ちでいっぱいだ。

相手は逆転を信じるラスボスFC東京。苦手な彼らに勝ってシャーレを掲げることに意味があるはずだ。オレは勝手ながら、今のマリノスの魅力は、攻撃的なサッカーでも、前線の破壊力でもなく、「困難を乗り越える強さ」だと思っている。その強さの証明のためにも、苦手な東京を破りたい。

ラスボスに挑むトリコロール戦士たちには、満杯のホームだからこその後押しをしたい。そんな気持ちを込めた曲で、この文を締めくくりたい。

それでは聴いてください。吉幾三で「Dream」

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