※Num◯er文学も裸足で逃げ出すほどのポエムです。
目次
はじめに
2018年12月21日、マリノスは下平匠のジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍を発表。2014年から足掛け5年間の関係に終止符が打たれた。マリサポの多くは別れを悲しんだ。
実績豊かな実力派左サイドバック(SB)の放出を惜しむ声、イケメン枠の減少を惜しむ声、そしてピッチ内外でマリノスに貢献してくれた功労者との別れを惜しむ声。形はそれぞれだったが、いかに彼が愛されていたかを表していた。
かくいう私もその1人で、未だに移籍のニュースページを見ると、こみ上げるものがある。
だが、下平匠の移籍を悲しむ一方で、彼への感謝の気持ちもある。
今でこそプレー映像に線を引いたり円を描いたりして偉そうにああだこうだ言っている私だが、5年前は今の1/144もサッカーを理解してなかったと思う。ガンプラのHG(ハイグレード)より小さな理解度だった。
その理解の狭さを気付かせてくれて、今まで気付けなかったことを教えてくれたのは、他ならぬ下平匠のプレーぶりだった。(あとパンゾーさんね)
なので、今回は感謝の意を込めて、下平匠、いや、しもへのプレーから学んだことを書き連ねていこうと思う。いっぱいあるけど3つに絞ってみた。
- SBの攻撃貢献はオーバーラップだけじゃない
- 熱いプレーヤーだけがいいプレーヤーではない
- 鬼門は破るためにある
チラシの裏にでも書いてろという文なので、当人に届いてくれとまでは言わない。ただ「マリノスにこんなカッコイイSBがいた」ということを残せれば十分だ。ちなみに以下は私がむっちゃかっこいいと思っている2014年加入当初のK-POP風しもへだ。
1.SBの攻撃貢献はオーバーラップだけじゃない
世の戦術クラスタからすれば、「何を至極当然のことを見出しにしてるんだ」という感じだろうが、事実だから仕方がない。しもへ加入前の私は本当に「SBの攻撃時の貢献=オーバーラップしてクロス」だと考えていた。「攻撃的SB」とは快速を飛ばして相手ゴール前まで駆け上がり、高精度のクロスを放り込むSB以外なし、と思っていたのだ。
だが、しもへのプレーを見ているうちに、その考えは変わった。
左サイドのウィング(誰だったか名前は忘れてしまったがたしか11番をつけていた気がする)が攻め残り気味にいても、しもへはあまり攻め上がって彼をフォローしたりしなかった。先の私のダメダメな「攻撃的SB」の定義からは間違いなく外れていたわけだ。
しかし、よくよく見てみると、DFラインからウィンガー、さらにはトップ下(誰だったか名前は忘れてしまったが以下略)やボランチにパスが入り、そこから攻撃のテンポがグッと上がっていることに気付いた。他ならぬ、しもへからのパスだ。相手が前からプレスをかける時、サイドへのパスコースを意図的に空けられるケースは多い。なぜ意図的に空けるかというと、話は単純。SBに持たせてしまえば、片方はタッチラインなので出せるパスコースは180°分しかないからだ。
(この図だとガラ空きだけど)しもへはこの状況になっても、工夫ができた。ちょっと持ち出して中盤についた相手選手を自分に引き寄せた後にパスを出すとか、微妙にカーブをかけて相手選手が触れないようにパスを出すとか。わずかな隙間を作り、そこを縫ってパスを出せる稀有なSBだったのだ。有り体にいえば、「ビルドに貢献できる選手」だった。
かつてSBの華のように謳われたオーバーラップは、実は闇雲に行うとやらないよりタチが悪いことが最近わかってきている。(詳しくはこちら)それに比べ派手さは劣るが、しもへのような「最後尾端っこの司令塔」の方が実は攻撃に貢献できていたのだろう。
基本的に、しもへのプレーは派手ではない。だいたいのプレーは2,3のタッチで完結するし、何度も走り回ったりしない。なので気付きにくい。だが思い返せばビルドが苦しい時、打開策を提案してきたのはボランチの位置まで降りてくる10番(誰だったか名前は以下略)だけじゃなかった。左端から地道にショートパスで相手ブロックを崩しにかかった「攻撃的SB」下平匠もその1人だったのだ。
こうしたしもへのプレーのおかげで私はSBはオーバーラップだけが華じゃないと知ったし、SBの位置からゲームを動かすことの意義も知った。その気付きがアオアシを読みやすくさせたことは言うまでもない。
2. 熱いプレーヤーだけがいいプレーヤーではない
世の戦術クラスタからすれば、「何を至極当然のことを(以下略)
ヨーロッパだとガットゥーゾ、マリノスなら喜田拓也、大津祐樹らがそうだが、見た目にもわかる「熱いプレー」は、ファンタジスタの超絶技巧よりもスタンドの温度を上げ得る。
ガツガツと相手からボールを奪いに行くプレー、果てはスライディングでボールを食い止めるプレーなどはサポーター好みなプレーであり、強い気持ち(©︎川端暁彦記者)を感じられるという意味でスポーツ観戦の醍醐味とも言えよう。
かくいう私もFooooooooo!!とかつい言ってしまうプレーだ。
ではしもへはどうか。私が知る限り、そんなプレーヤーではない。
むしろ「闘ってない」プレーヤーにすら見えた時だってある。
顕著だったのがタッチラインを割り、放っておけば相手のスローインになる、というボールに対するプレーだ。
「清く正しい少年サッカー」育ちの私は、少しでもボールを残せる可能性があるならスライディングでも何でもして食い止めるべしと考えてしまっていた。
だが、しもへは違った。サイドへのボールを見るや比較的早い段階で「すっ」と立ち止まり、タッチラインを割るボールに背を向けてしまうのだ。「あのボールはどうせ出るから追うだけ無駄」と言わんばかりだった。
当時お気持ちおじさんだった私は「やる気あんのか」と怒りに駆られた。
(たしかその試合は消化不良のドローだったのもあり)モヤモヤしたまま帰宅して試合映像を見返す。するとあることに気付いた。そのスローインの位置、味方の戻り具合、諸々含めて改めて見ると、そのスローインは与えても危険性が少なかったのだ。
・・・何を当然のことを、と思うだろうけど、この気付きはお気持ちおじさんだった私にとって本当に大きかった。たとえ全力を振り絞ってスライディングでボールを残したとしても、ボールを再度相手に奪われればカウンターでより危険かもしれない。
つまり、私がやる気見せろと要求したかったプレーは、エネルギーの割に成果(リターン)は乏しい「効率の悪いプレー」だった。そしてプロの選手はその判断を瞬時にしており、しもへはその判断とプレーの取捨選択が露骨なまでに効率的だったのだ。
「プレーの無駄を省く」という観点で見ると、しもへは徹底していた。
パスを受けても前方向に出せないとあれば「今じゃない」と言うようにワンタッチで戻す。
オーバーラップしてもウィンガーの助けにならないと見れば無理に上がらず、カウンター予防のための位置どりをする。
こうして効率を考えながらプレーや位置どりを選択し続け、最後にはいざという時にいて欲しい場所で、やって欲しいプレーを確実に遂行する。
このアシストも、何度も何度もタッチライン側を泥臭く上下動した結果・・・ではない。うろ覚えだが、この高い位置にしもへが侵入したのはこれで1、2回目だった気がする。それでも確実な成果をチームにもたらす姿は、「プロ」と呼ぶにふさわしく、とてもクールだった。
3. 鬼門は破るためにある
サポーターを名乗りアウェイにも顔を出すようになると、「鬼門」と呼ばれるものが出てくる。何度もそこで試合をしているはずなのに、いつも負けてしまう苦手なスタジアムのことだ。
最近のマリノスでいうと、柏のホーム「日立台」、大宮のホーム「NACK5」はいわゆる「鬼門」だった。(あとカシマとかベアスタとか色々あるけど省略)
気弱な本音を漏らせば、こうした「鬼門」は正直足を運ぶのすら辛かった。Eminemのやたら攻撃的なナンバーを聴くでもして、無理やりにでも自分を鼓舞しないとやってられない。
2015年の日立台もそんな気分で行った。なんならEminemをかけたつもりが全曲シャッフルになっていて、斉藤和義の「歩いて帰ろう」がウォークマンから流れたので7割諦めムードだった。
1失点し、アウェイ側には嫌なムードが流れ始めた。それでも翔さんのゴールで同点に追いつくマリノス。そして鬼門克服へ決定的な一撃を叩き込んだのは、FWでもMFでもない、左サイドから誰の目にも留まらずに入ってきた背番号23だった。
今見返してみても「なんでそこにいるんだw」ってポジショニングだが、無駄を削り最後まで勝つ可能性を模索するしもへだからこそできたプレーだと思う。
「鬼門ブレイカー」しもへの活躍はもう1つある。先に挙げたNACK5での2016年大宮戦だ。
この日は現地に行けず、スカパーを観ていた。歯噛みするようなもどかしい0-1ビハインドが続き、相手の好守に何度もチャンスを潰されていた。サッカーの世界によくある負けパターンではないか、と思い、この時も私はやっぱり諦めかけた。
しかし、またしても、しもへがどフリーで決定的な一撃を叩き込む。
山ちゃんのようにドカドカとゴールやアシストを決めるタイプではないが、ここぞの場面や「鬼門」で結果を残すしもへは、気弱な私に「難局を前にしても、最後の瞬間まで打開する可能性を模索すること」を教えてくれた。
「最後まで諦めるな」というようなメッセージを見聞きすると、がむしゃらに問題に取り組んでいくべきなんだろうかと思ってしまう。だが、それだけじゃ実際は不十分だ。ゴール前に引きこもった相手に対して考えも無しに攻めても時間と体力を浪費してしまう。「最後の瞬間まで焦って思考を止めたりせず、考えた打開策を着実に遂行すること」も、最後に難局を打開するためのキーになる。ロイ・マスタングの精神である。
最後まで思考停止にならず、打開策を打ち続ければ、「鬼門」だってきっと破れる。しもへの2ゴールを見て以来、私は敗色濃厚な試合でもチームを鼓舞し続けようと決めた。
おわりに
マリノスでの終盤は、ポステコグルー監督の求めるSB像との不一致に苦しんだしもへ。CBとして起用されるゲームも多かった。彼はそれこそ「最後の瞬間まで」マリノスのために効率的なプレーで貢献し続けてくれたが、いかんせん不一致は埋まらぬまま、別れを迎えることとなった。
だが、改めて声を大にして言いたい。下平匠という選手のプレーを見なければ、今の私はありえなかった、と。たぶんゴール裏でトンチンカンなヤジを飛ばし、ツイッターで「今日となりにいたオヤジ最悪!」と書かれるお気持ちおじさんに成り果てただろう。
彼が教えてくれたのは、ゴールや勝ち負けだけじゃない、サッカーを「考える」楽しさだった。未だその楽しさを知り始めた駆け出しの身だが、それでもサッカーを「考える」ようになって、SBという職業、サッカーという競技を観ることが、何倍も楽しくなっている。
改めて、ありがとう、下平匠。
ちなみに千葉でも「下平日本語学校」は開講されるのだろうか。エス将が関西弁を話す日もそう遠くないかもしれない。